2020年10月10日土曜日

村主章枝のヌード写真集

 性についての深い考察などもとより出来ぬ セックスで1分しか持たないおのれですが、村主章枝さんがヌード写真集を出したのだそうで驚いた。「かたぎ」の女でこれほど世間に知られた知名度の高い女性がヌードになったなんていままでなかったのではないか。

 

改めて興味を持ちます。脱ぐか脱がないかの倫理観は変化したのだろうか。

週刊誌的には「昨今ヌード写真集を出すことはなんら珍しいことではありませんが、まだまだ世間的には「借金か?」「男か?」「宗教か?」などといらぬ邪推をされる現実(全ては辺見マリのせい)。しかも日本を代表するトップ選手だったわけですから、マスコミは色めき立ちました【文春】」あたりが考察の相場でしょう。

 

もちろん、文春も彼女の内面に触れており、

「しかし村主さんの写真集は「スーパームーンの夜に銀色の光が降り注ぐ中、『月光』の世界観を写真で表現する」(インスタグラムより)という非常に崇高なもので、一部報道にあった「極貧生活」「ホスト通い」などの理由は完全否定。全ては「スーパームーンの下で」自分が大切にしてきたプログラム「『月光』を踊る」という芸術的必然性であったそう。」

とまとめています。

 

村主章枝さんご本人は、ツイッターで

「女性に見ていただいて、美しいと言ってもらえたら一番嬉しいし、そういっていただきたく頑張りました。200点満点は、チームが本当に素晴らしく、私の実力では、こんな作品になりませんでした」と語っています。

 

でもそれってすべてうわづらなぞっただけと違いますか。「芸術性」を絡めればなんでも崇高な「アート」になってしまう。

くだんの文春女性フリーランスライターも、

「現役時代、彼女の高い芸術性も「採点競技」という観点で見れば浅田真央選手のトリプル・アクセルにいともあっさり叩きのめされてきた村主さん。そのルサンチマンをぶつけたのが今回の芸術ヌードだったのかな……。 若い頃のジャンプ力を失った女が、見せたい、見られたい願望を「社会からの要請」として果たせる場所、それが芸術ヌードだった。」

と突っ込んでおります。

 

ルサンチマンに駆られて女が脱ぐことはあるのでしょうが、。村主章枝さんがそうだというには無理があるように思います。見せたい、見られたい女の願望だったのでしょうか。

男と女の劣情をたっぷり誘うふくろ綴じ写真集 → 買いたい 芸術だもん(笑)






5 件のコメント:

  1. 均整がとれたからだ、セミヌード。スケート場の子供教室の主催者が目くじらたてるほどでない。むしろこうした女コーチの方が子供の情感を引き出すことに長けているかもしれない。40歳の記念にというところが彼女の心象にいちばん当たっているのじゃないか。
    40前後の女はいちばん美しいと思う。それを証明するような裸体だ。

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  2. 最近のお話かと思ったら写真集は2017年2月の発売でした。ならばまだ三十路前半のお姿、、。

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  3. 写真集はあとで調べますけど、村主章枝さんは姫より3歳うえのお姉さんです。

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  4. 写真集は2017年2月の発売でした。私の見た記事は下の文春オンラインでした。
    https://bunshun.jp/articles/-/1810

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妻の横顔 続

2017.7.21 撮影