東日本大震災の跡地をまいとし歩いていますが、ことしは遠藤未希(25歳)さんが勤めていた宮城県南三陸町の防災センターをたずねてみようと思っています。
明日から9月。東北の大地では秋風が立つころでしょう。月日は過ぎ、5年と半年が経過しました。
彼女は、津波が来るので避難するようにと防災センターのマイクで伝え続け、帰らぬ人となってしまいました。
彼女は勇敢に立ち向かいました。実際、河口の水門を閉めに向かった消防団員の方や、津波を背に最後まで住民の避難誘導に当たった警察官がおりました。
たくさんの方が殉職されています。
事に当たり、ミッションをやり遂げようと挑戦した者よ。永久(とわ)に讃えられん。
一枚目の写真は石巻市立大川小学校の児童が避難したとされる北上川の堤防。夜更けに現地に到着したときには、堤防の上に月が掛かっていました。夜が明け、目に飛び込んできたもののなかでいちばん涙を誘ったものは子を守る母の絵(二枚目の写真)でした。現在はりっぱな供養塔や慰霊碑が建っています。
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